今月のスペシャル 2002年7月
 「森が教えてくれたマンダラ」・序


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★詩のページを2回分お休みしてごめんなさい。その間に大変な体験をしていました。
その体験で感じ考えたことをもとに、このコーナーで次回からこれまでとは
違う実験を試みようと思います。「森が教えてくれたマンダラ」のタイトルで。

★今回はその序として、何が起きたか、マンダラの試みの由来について述べます。
英語俳句によるスケッチと写真帖も合わせてご覧ください。
英語俳句は、4月の詩のページで紹介したサイト 『英語俳句を作ろう』に刺激されて
現地で試みました。

★今月の文字絵(上)は、下の文に出てくる地球語太極拳の短編「雨上がり」 のイメージ図です。      

落とし穴の中は美しい森だった

 人生には、ときに思わぬ落とし穴がある。それは隠れて見えないだけで、だれの周りにもあるのかもしれない。たまたま私たち夫婦は突然そのひとつに落ちた。大切なことを思いださせるために「自然」が引きずり込んだのかもしれない。力を合わせ順を踏んで現実の日常へと這い出す以外ないのだが、たまたまその穴の中は、美しい森だった。

  WA州シアトルから遠くない小さな町に、20世紀初めに地下水が噴出して突然できたというサプライズ湖がある。その湖岸にあたる森100エーカ0を所有していたノンプロフィット組織が、20年代からこの森を彼らのサマーキャンプにつかってきた。近年はベッドタウン化が進んで、森のとなりにはショッピングモールも押しよせている。夏向きに簡素にちらほら建てられていた森の小屋は、時代を経て防寒も整った家に改築され、今十家族余りが常時この森に住んでいる。そんな家のひとつを数年前私たちは知人からただ同然で提供された。それで休暇ごとに手入れに通ってきた。この4月はじめにも、ほんの10日ほどの予定で車に荷を満載し、約千キロの道のりを夫の運転で出かけた。

 過去にはライラックなど庭の花のシーズンを見すごしたので、春先の森はどうかと今回は4月を選んだら、雨ばかり。木の芽も吹かない寒い日々が続いた。花が咲くまでいたいねと話していたら、思いがけない事情でその願いがかなう。夫が大けがをして夏のかかりまで森から出るに出られなくなったのだ。

 夫は、森に沿うアスファルト道路の小さなぬかるみですべってひざを強打し、無理に立とうとして再転倒、支えた左手首も腫れあがった。目撃者の知らせを受けたが、何しろ彼の体重は私の2倍以上、それに私は運転もできない。生まれてはじめて救急車のお世話になった。数個にくだけたひざの骨が腱にめりこみ、腱もはがれたらしい。翌日グラスファイバーとワイヤーで固定する難しい手術。脚全体がまっすぐに包まれた。健康な若者にも起きるおそろしい事故だという。まともに歩けるまでに1年はかかり、今は右足を心臓より高く保ち、できるだけ動かせと、ドクターにいわれる。

 ひびが入った左腕にもギブス、脚は自力では持ち上がらない。触れると痛がる。どう動かせっていうの?翌日退院許可は下りたが、屋内への段差はどう登る?まずは私が左腕右脚にギブスと痛みをイメージして試行錯誤を試みるが、はて?不安の中、助けの神はいた。森の隣家のご夫婦も骨折の体験者で、病院への送り迎えからイスを使って1段ずつ登る方法まですっかりお世話になる。隣人たちが寄って痛みを鎮めるユニークなお祈りもしてくれた。夫のひざは日々よくなるかに見えたけれど、傷のないふくらはぎや足がナスビのように腫れ、痛みで眠れなくなる。術後10日目の検査で、いくつもの血栓ができたのを知る。健康だった人が長時間のフライト中動かず座って血栓症になり突然死などと聞く、あの血栓。即一泊の再入院。点滴や食事制限を伴う投薬がはじまり、このほうが骨折よりも危険で治療が長引くと知る。

 体の仕組みについての無知を悔いる。また夫の一本の脚が私にとってどんなに働いていたか、ふだんは考えもしなかった。直接痛まなくても、運命共同体の一方の故障は、自身のものと同じと知る。能力や関心が反対向きの私たちは、常は機能分担し、私自身はサンフランシスコで原始人みたいに暮らしてこれた。病院も薬もほとんど無用で通してきた。それが突如、医療や保険、アメリカ文明の恩恵を享受することになった。もし地球の反対側の住民の怪我なら、たぶん死を待つだけだろう。社会のしくみと、夫の加入のお蔭で助かる。今は感謝しかない。当分は私が夫の脚にもならねば。私は隣人たちに助けられながら運転免許まで取るにいたる。小さな森の毎日と格闘しながら、家族・隣人・友人・社会・世界のつながりを、体が感じる。

 話はそれるが、日米の研究者によって「循環社会の実現を目指す」と題して2月にSF大学でシンポジウムが行われた。MITのスーザン・マーコット教授を中心に、各方面から全員がマンダラ図を掲げて説いた。密教の悟りの象徴図でなく、世界の構造図としてのマンダラ。それは、自然環境・人間社会・経済活動の3大要素から成る。これらが対等の関係を保ち循環してこそ持続する世界が可能と説く。現在はマネーの経済活動が他を圧し、3つの関係が大きくゆがんでいる。だから日米が先立って循環への意識改革を進めねばならないと、環境の現状や、資源消費の抑制・再利用・再製を進める対策などが述べられた。会の終了後マーコット教授とお話する機会に恵まれた。地球語に興味を寄せられ、ぜひ地球語のシンボルでマンダラをつくってよ、と頼まれた。地球語のしくみは象徴図・世界観のマンダラに向くと発想当時から私は書いてもきたが、これまで試用の機会がなかった。今そのチャンスなのかもかもしれない。森へ出発の4月、この宿題だけが頭の隅にあった。

     それで、本も資料も住所録さえもアパートに残したままだ。何ヶ月も地球語字典とかかわらないのは、開始以来14年間ではじめてだが、看護は別のことを考えながらできるものでもない。不安や余計な考えを追い出すために、私はがむしゃらに働いた。用があれば叩いてと、夫のそばにドラムを置き、聞こえる範囲の主に庭で仕事した。まず納屋の屋根に登って苔を落とす。この家には魔法の納屋と地下室もあって、くもの巣と埃の下から材木、金具、工具、こわれた家具、硝子のブロック、何なりと出てくる。足上げ用ベッド改造、携帯トイレ作り、家具・建具・照明器具の修理やペイント、小道造りなどに片端から役立てた。私は「この世に役立たないものはない」という哲学を持つが、この森には「この世に修理できないものはない」哲学の持ち主も住んでいて、大いに刺激され、楽しんだ。

     夫が痛み止め薬から次第に開放され、松葉杖で森を散歩しはじめたころ、さくらんぼの花が散り、石楠花・ライラックの豪華な花がひらいた。青葉茂る森は、命の競いの場だ。いろんな形や大きさの生物が生きのび合戦をしているのが毎日観察できた。おいしい植物もたくさん発見、私もまた野草や木の芽の天敵となる。それらは適度に食べられてこそ育つように進化しているのがありがたい。森にあとから侵入したアイビーやブラックベリーは先住の草木を殺すたくましさのためにきらわれている。私たちに管理責任のある庭にもこれらがものすごい勢いで根を張っていた。木々の剪定の次に、私は地下で絡み合ってふんばるたくましい根と格闘をはじめた。その結果、きらわれ者のアイビーの根軍団がわが家や隣人たちの室内にまで侵入することになった。カゴや棚やランプシェードに編まれて。( 写真参照)日照時間が朝4時から晩10時までの長い終日休みなく体を動かして、あちこち打撲や筋肉痛があり、夜にはへとへとになるものの、激しい肉体労働は心地よかった。体が引き締まってむしろより元気になったと発見した。考えてみれば人類はついこの間までこのように体を動かさないと生きてはこれなかったのだから、その自然な状態に今帰っているのだと感じた。

     過労を鎮め、毎日をすがすがしくしてくれたのは木々の下での地球語太極拳だった。ときには森の他の人も参加して、その ショート・フォームを楽しんだ。武道の延長の伝統太極拳では心を無に導くのだが、私の考案した地球語太極拳は、身振りシンボルによって空・太陽・樹などの自然と一体になる。森でこれをするとき、私の年齢の何倍もの木々に抱かれた。地上に伸びる草木が同じだけ地下にも根を伸ばしているように、自然は体の外にひろがっているだけ内にもひろがっている。動きにつれて隅々の細胞が活性化するひろがりかたを味わう。手で象るシンボルでその象徴する境地に導く密教の印相を魔術のように思っていたが、その秘密は地球語太極拳とおなじなんだ!と気付く。印相曼荼羅のように地球語太極拳も体の動きのマンダラとして体内の循環とバランスを呼ぶ。体を満たしている自然・いのちそのものに回帰しながら、苦難の中にあっても平安を見失わないでいられる。

     循環社会チームの活動のウェブサイトができればそのマンダラの地球語版を手がけようと思ってはいたが、なにかしらふに落ちない気もしていた。森で暮らしてみて、それが見えてきた。このマンダラもまたヒト中心のビジョンではないだろうか。たしかに今やヒトはその社会や経済のありようによって自然環境を左右する。けれど自然は、仮に人間が絶滅しても、そんな中でも生き延びる別の命をやがて新しくゆっくりと育て、動きつづけてゆく、そんな大きいものだ。自然は、ヒトのみでなくあらゆる存在にとっての母だが、ヒトは、自分の体内もふくめてすべて自然によって生きている。自然と人間社会・経済を同列の円で表現していいのだろうか。自然と人間社会を分け、対立させて数字でバランスを考える必要もあるだろう。持続社会を政治的に推進するには説得力のある方法かもしれない。しかし、一人一人が自分の命を包み、満たし、宇宙にひろがっている自然への感動と謙虚さを取りもどさなければ、生活習慣は容易には変らないにちがいない。そんな視点から考えてみたい。自然要素に基づく地球語のシンボルを使いながら手始めに、森の中で私自身が全身で感じた体内の自然を掘り出し、部分マンダラを描いてみよう。3ヶ月ぶりにサンフランシスコに戻る車を運転しながら、私はこんな課題をふくらませた。
森の暮らしの写真帖と英語俳句のページにもどうぞ。
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