見て内容を連想しやすい形(記号・文字)を言語の基とし、
そこから多様な表現手段に展開します。アルファベットでは音声記号(ことば)に意味があり、
文字はその音声を記録する二次言語なのと逆の関係です。
その理由は次です:
ことばを構成する音声は、口から発した途端に消えるので「今」が命です。
だから常に変化する宿命を持ちます。そのときの気分を伴って変化し、
いきいきと活躍するのがことばの特徴です。地域ごとに異なることばの間を取り持ち、また時代をも越えて伝達するのが
共通語の使命です。共通語の基本的なルールは、移ろいやすい手段ではなく、
固定できる手段上で設定されねばなりません。
「形」に基づく約束ごとは、記録する使命を持ち、最初から長命を宿命づけられています。
同じ国のことばでも千年前の記録を耳で理解できるのは、専門家くらいでしょう。
けれども「火・水・山・川」など普遍的な概念の表意文字の漢字で書かれていると、
ことばの全く違う中国語と日本語の間でさえ通じます。音声を基とする数多くの人為的な共通語は、むつかしい、堅苦しすぎ、
方言の発生などで、どれも満足に機能しませんでした。
けれども漢字は、二千年近くも多くの異なる言語を束ね、
大国家の形成を支え続けてきた実績を持ちます。
しかも異言語の人々が、普段は使わない共通語としてではなく、
それぞれが自分の言語として自然に操っています。ところが、同じ漢字でも、「亜」(古代墳墓の石室の形から造られた・・・白川静『字統』)
など、特殊な時代・地域の文化を基に造られた文字やその応用文字は、
表す内容がたびたび変わりました。基礎言語とする内容もまた文化ではなく
人類共通に理解できる要素を基にすることが大切です。
たとえば象形記号のを「木」、を「葉」のシンボルとして受け取るのは、
なじみやすく、忘れにくいのではないでしょうか。
抽象的な記号のを「上」、 を「右」のシンボルとするのもまた、
任意の音声をシンボルとする(たとえば「上」を「サ」音で表すなどと憶える)よりずっとらくでしょう。
このように視覚的な形は、誰にでもわかりやすく憶えやすいシンボルを提供します。
上記のが、「木」として」定義づけられているなら、日本人はそれを「キ」、
アメリカ人は tree と、異なる読み方をしても、シンボルを通じて同じ意味を受けとることができます。
無理に日常語と違う発音の言語を憶えてしゃべらなくても交流は可能です。数学記号の1+2=3を誰もが母語で読み、自分の言語のように感じながら使っています。
けれど書けば世界の大半の国で共通に伝達できます。視覚記号は、このような働きをするのです。このやり方でシンボルが組織的に働くしくみを築けば、習得に無理なく、
それぞれの伝統ことばをむやみに乱さずに共通の伝達ができるはずです。
上記の木、葉、上、右などの記号は、一度知ると、
次回それらを目にしたとき、直ちにその意味がわかるのではないでしょうか?表意文字になれていない英語民も、I love NY. に比べて、
I NY. の強さに驚きました。共通記号の発達は、
地球民の間の宣伝広告・グラフィックデザイン分野に新境地を開くこともできます。
ことばは、音声が流れる時間順に追ってしか捉えられません。
比べて視覚では、一瞬に多くの要素をまとめて捉えます。
「大きい目」「尖った鼻」などと聞くよりも、
一目見る効果のほうが顔を確かに認識します。
「百聞一見にしかず」といわれる所以です。この性質があるので、いくつかがまとまった複数の記号を、
統合された一つのものと見做すことは、視覚ではなんでもありません。
たとえばは、部品 とから成り立っていますが、
視覚では、それら部品に分解せず、丸ごとで「木」の形とみることができます。視覚のこの特徴を利用すれば、わずかな基本記号から限りなく多様な
シンボルを産みだせます。また、意味の分析と統合を、
記号の分解・重ねあわせによって表すしくみは、
造語や情報整理も共通に合理化します。
単位記号の形が単純でわかりやすければ、それは、タイプや筆記だけでなく、
手などの形や動きとしても表せます。
たとえば、「自然」を表す記号 を のような手の形や
動きに関連付けると、これらは同じ意味の手話記号として使えます。
形のない音声が基の「ことば」には、こんな応用は不可能です。
ゴリラは多くの手話を使いますが、原始人類にとっても手話は永らく主要な
伝達手段だったでしょう。今日聾唖者のための手話は、
自然なしぐさから離れてしまい、また各国語ごとに違います。単純な形の視覚記号を基にすると、一般の人々も学習に労せず
手話記号も身について日常生活に利用できます。
異言語者間での対面交流や、声を使えない場合のやり取りなどに
手話の利用が一般化すれば、同じ手話を学ぶ世界中の聾唖者が
マイノリティーの立場から開放されます。
単純な記号なら、手話が届かない遠くには全身で記号を象って知らせることもできます。
声も体も動かなければ目線を記号の形に動かして知らせるなど、
咄嗟の場合に臨機応変の手段で伝えられます。
いつ不慮のできごとに遭うかわからないこの時代には、伝達の保険ともいえる、
そんな備えも必要ではないでしょうか。
ヒトの社会では、固有名詞は大切です。音声のみを伝える機能も欠かせません。
唇・舌・歯や口蓋・・などの発音器官に人種差はほとんどありません。
それらを使って発音するときの特徴的な形を単純化して基本音素の表現につかえば、
音はイメージしやすくなります。
たとえば両唇破裂音に両唇の形 、平らに舌を延ばした[ t ]音に を当てて
シンボルとすれば、忘れにくいでしょう?
基本から舌を「奥へ」「外へ」ずらす、調音のための開きを「大きく」「小さく」など、
変化を加える表現にも視覚シンボルはわかりやすいでしょう。
それら音素と変化記号を組み合せると、複雑な発音の仕方が
見てわかるよう科学的に表記できます。
元来表音記号だったアルファベットは、今では表音を十分にできなくなりました。
交流や政治的な合併などの時代の流れの中でことばは激しく変化し、
そのたびに文字や綴りを発音に合わせて変えていたのでは意味が伝わらなくなるため、
記録の仕方は保たれました。
その結果のずれが、多くの不合理な読み方を産んでいます。(中尾俊夫著『英語の歴史』)総数がわずかなアルファベットは、タイプするには非常に便利ですが、
多様な発音の区別が切り捨てられてしまいます。
また区別する語彙が増えると、綴りの膨大な学習を後世の人類に押し付けます。漢字では、表意の部首と表音の部首とを組み合わせて造字が行われました。
ところが、読み方のほうは地域と時代によって大きく変化しました。(鈴木修次著『漢字』)
そのため、多くの無意味なパーツを後世の人々は丸暗記しなければなりません。ハングルは、韓国語で用いる音節を、発音の仕方がわかるように要素を組んで
合理的に表示します。( 渡部吉鎔+鈴木孝夫著『朝鮮語のすすめ』 )
しかし、他国語の発音の表記にまでは、備えがありません。全人類の音声表現の受け皿となる「地球語」には、
あらゆる発音の仕方を必要なだけ詳しく表現できることが望まれます。
また、漢字のような混乱を防ぐため、使用目的が表意・表音のどちらかを
明確に区別するほうがよさそうです。